シェンヌの鍵穴

第15回 「『シェンヌ』の訳字および名称についての一考察」  若和尚:テナー  
2005/10/26


 今回は入団以来気になっている、クール・シェンヌの紹介時などに訳として用いる漢字について論じる。それは冷めた見方をすれば重箱の隅をつつくような話なので退屈かもしれない。しかしながら多少世間に知られるシェンヌなので、「たかがそんなこと」ではなく、体を表す名前についてはきっちりとさせておきたいのである。

いわく、「シェンヌとはフランス語で樫の木の意味で・・・云々」と、説明の際にシェンヌの訳語に「樫」の字を当てることが少なくない。しかし、クール・シェンヌが団体として「橿原高校OB合唱団」に由来しており、現在まで続く拠点・橿原市からその名にちなんでいることは言うまでもない。ゆえに訳としては「合唱団・橿の木」がもっとも相応しいのではないか、ということを常々疑問に思っている。

橿原の「橿」にちなんで、カシの木をフランス語で洒落て「Chene」という名称にしているのだから、逆輸入すればやっぱり「橿」ではないのか、と思うとそうではない。過去の資料をあさると意外にも「樫」の字を当てていることが多い。

今となっては資料一々の書き手を洗い出して問いただす訳にもいかないので、これは拙僧の想像でしかないのだが、恐らくは、執筆者の心理として「カシの木」に相応しい字を「樫」にイメージするからであって、シェンヌの由来を心得ながらも、なお「橿」の字を当てることを躊躇するのではないか。

確かに辞典類を引いて「カシ」を調べると、カッコ書き等々には「樫」の字が当てられている。例えば・・・。

カシ(樫)・・・ブナ科コナラ属の常緑高木の一群の総称。暖地に多く、日本では中部以南に約10種ある。材は堅く、器具材その他として重要。

といった具合の説明がなされている。百科事典類にもこのように出るので、あえて漢字で表す場合には「樫」の字が通っているようだ。マズイ(汗)。

よし。では漢字の意味から調べる。その権威、『諸橋大漢和辞典』を引くと、カシを表す字はおよそ3つ。「樫」「橿」「?」が主である。まずそこで驚くことに、「樫」の字はなんと国字ではないか。国字とは和製漢字、つまり日本で作られた漢字のことである(畑・辻・峠・笹・榊・働・麿など)。

 なんと!(ニヤリ)。漢籍にその名を記す、漢字として由緒正しきは「橿」と「」である。この二字の違いは当然あって、多種ある「カシ」の種別をしているようだが、その詳細は避ける。

ところで、世に流布する安価で低劣な辞典類は、国による漢字の節減化/廃止政策に追随するバカ辞典だから、漢字の成り立ちや意味にまで還ってことばを吟味したりしない。しかし大御所『広辞苑』などで「かし」を引くと、ちゃんと【樫・橿・】を挙げる。エライ。

 さらに「樫」と「橿」字の成り立ちを調べる。樫は見て取れるように、カシが堅いことからその字が考案された。では橿はどうか。?は「田の間にくっきりと一線で境界をつけることを示し、かたく張ってけじめのあきらかなこと」から、「かっちりかたい」の意味を成し、同じ旁で表される「彊」の「じょうぶで力がこもっている。がっちりしている。がんじょうな」という形容詞としての意味と同意に用いるというから、これもカシの材質のことを表意するわけだ。つまり共にカシの材質が“かたい”ことから、その字の成り立ちがあるわけだ。

 樫の字がいつごろ創作して使いだした字なのか、またどのようにして橿や?よりもメジャーな立場を勝ち取って行くのかまでは調べる気がないが、わざわざこっちの国で創ったくらいなので「かたいカシ」は、「」よりも、直接カタイ意味を見て取れる「堅」の方が単純でウケが良かったのであろう。

 では地名として奈良県にある橿原は、なぜ「樫原」や「?原」ではなく「橿原」なのか。『角川地名大辞典』を引く。すると「大和期から見える地名」であり、「柏樹の繁生地を示す地名」とある。「橿原神宮」でもってあまりにも有名な「橿原」の地名は、古く『古事記』に、神武天皇は「畝火の白檮原宮」で天下を治めたといい、また『日本書紀』に「畝傍山の東南の橿原の地」は国の墺区で治めるのに適した地とされ、畝傍・橿原に宮殿を構えて「橿原宮」で即位し、崩御したとされている。

そういった歴史の重さはともかく、地名の由来について言えば、最初の「柏樹の繁生地」であった点である。事実、「現在の橿原市久米町周辺からは橿の木の盤根が出土し、畝傍山の東南にあたる地域が橿の原生林に覆われていたことが確認できる」(同大辞典)らしい。

では、字の問題。これはまったくアテズッポの話ではあるが、先の「記紀」という文献を戴く古代からある名前なれば、恐縮ながら国字風情の「樫」如きが出る幕ではない。では「?」はどうか。先に漢字の意味を調べた箇所で略したが、同じ高木のカシでも、「橿」の種類は高さ数十メートルに及ぶのに対し、「?」は7メートル程度の種類を表しているので、原生林を形成するとしたら、ノッポの「橿」がやはり似つかわしかったのであろう。ウンウン(自己満足の納得)。

よって、平安期以後も『本朝文集』『神皇正統記』『太平記』『愚管抄』といった、やんごとなき雅な文献にその名を記され、一時地名として消滅したこともあったとは言え、幕末〜明治の神武天皇陵決定によって天下にその名を不動のものとした「橿原」は、昭和31年に地元畝傍町を含む周辺6町村が合併してその名も「橿原市」となり、その後も編入拡大して奈良市に継ぐ、奈良県第2の都市として現在の地位を築くわけだ。

余談ではあるが、奈良県下にあるのは「かしはら」(橿原市)で、大阪府下にあるのは「かしわら」(柏原市)であって、明確に区別されるべきことにご注意願いたい。

 さてさて、橿原から取った橿の木をフランス語に訳して「Chene」というそうだが、これは正しいのか。手持ちの『クラウン仏和辞典』を引く。

Chene・・・(植物)カシワ(柏)、オーク;ナラ属.◆カシワ,ナラ,カシなど,ブナ科コナラ属の木の総称.

おお!すばらしい。ことばの範疇が日本語のカシとほぼ同じではないか。恐らくこれについてもフランス語の大辞典を調べれば、さらに種別などで幾つかの単語を拾うことができるのかもしれないが、「橿」の訳としてはここまでで充分。団名を考案した主宰・上西先生はじめ、91年ごろの団員の思考をたどることができた。

 そこで先日の主宰との雑談がよみがえる。

師曰く「Cheneは正しい発音からすると、シェンヌとは言えんらしい…」。

師の後続の言葉を略して説明を兼ねて前掲書の同項から挙げる。Chene〔??n シェヌ〕とある(汗)。

師曰く「当時誰一人として指摘するヤツもおらんかったからなぁ、ケタケタケタ〜(笑)」

一同「ケタケタケタ〜〜〜!(笑)」

おいおい、と(大汗)。

さて、以上長らく述べ来たったように、訳としては「樫」ではなく「橿」でよろしきこと、また「橿」であるべきことは自明のこととなった。すなわち、漢字としては「橿」が正統なものであること、意味や成り立ちからして同じ理屈で引けを取らないこと、地名として「橿原」が謂われかしこきこと、フランス語の対訳としても的を得ていること、である。そしてシェンヌは、本当はシェヌであること(笑)。

というわけで、これから団名は胸を張ってこういうべきです。なは。


Choeur Chene ・・・・・クール・シェヌ、合唱団「橿の木」の意。