第9回 「笑 い」 by J丸:テナー 2004/02/16
予定では「忘れかけていた感触・・・」でしたが、本当は昨年の全国コンクールの前に書きたかったネタなので、それは時機をみて旬と思えるときに書きます。今回は、音楽・合唱とは関係ないけど、私の勤務校で年6刊発行している機関誌に掲載した教師のエッセイ『子ども記』に掲載したものを投稿します。骨休めに読んでいただけるとうれしいな・・・
「笑 い」
子どもたちとのくらしの中で湧きあがる笑い。職員室で先生方との会話の中で起こる笑い。爆笑、微笑、含み笑い、苦笑い、引き攣り笑い、笑えない笑い・・・まあ、何にせよ本校に赴任してから笑う機会が増えたように思う。笑いのツボに小さな一撃を見舞ってくるのが他ならぬ子どもたちである。
子どもたちの一日の生活は、朝の会の「元気しらべ」で始まる。「元気しらべ」では返事とその日の体調だけでなく「ひと言」話したがる子が多い。昨日楽しかったこと、今朝見つけたこと、先生へのおたずね等々、いずれも楽しい話題が多い。そんな中で事件は起こった。
その日も楽しい話題が続く中で、遠方の身内の葬儀のために欠席していたSちゃんが自分の番が回ってきて言った。「ひいおばあちゃんが死んでしまって、お別れをしてきました。とても淋しい気持ちです。お母さんは泣いていました。」一年生の子どもたちと、初めて人の『死』について話題にする緊張感。教室がしんみりした空気になったとき、F君が「そういえば、おじいちゃんが死んだとき、おじさんがお墓の(棺桶の?)横で朝まで寝ていたそうです・・」男子の中には「えー外で寝たん?」と言ってクスクス笑う子も何人かいたが、『死』そのもののイメージよりも、おじいちゃん、おばあちゃんはそれだけみんなから愛されていたんだということを大切にした。ここまでは上々。淋しいけど少し温かい空気に包まれていた。その時、徐にO君が手を挙げた。「僕はおじいちゃんが死んだとき、何で死んだん?と聞くと『肺がんだ』って言われました。その時僕は、なんで『歯いがんだ』だけで死んでしまったんだろう・・」と思いました。一瞬教室中に?マークがいくつも浮かんだ。続いて我に返った子が「なんでやねん!」のツッコミを入れる。それでも分からない子は「今のどういう意味?」と近くの友だちに聞く。だんだん駄洒落の正体が明らかになってきて、教室が笑いに包まれた。・・・(人の『死』について初めて話題にする緊張感は・・・、朝から重くならないようにもっていった私の苦労は・・・何だったんだー)T君には何の悪ふざけの気持ちもなく、ウケを狙った訳でもなく、ただただ自分も経験した身内の『死』を語っただけなのに、とんだ珍プレーになってしまった。
ひとしきり笑いがおさまると、Yちゃんが手を挙げていた。(こんな状況でYちゃんが自分から手を挙げることは、とても珍しいこと)「ひいおばあちゃんって誰ですか?おばあちゃんと何かちがうのですか?」いいおたずねである。分かったふりをしないでおたずねができたYちゃんはえらい。Yちゃんをひとしきり褒めて、口々に言いたがる子どもたちを制してSちゃんに返答を求めた。なぜなら、ひいおばあちゃんを亡くした本人だがら。(Yちゃんに対する評価と、再度Sちゃんにふったことで教室の空気が元に戻る・・・はずだった)Sちゃんがしばらく考えている。(えっ、なぜ?)そして静かに答えだした。「杖がなくても歩けるのがおばあちゃんで、ひいおばあちゃんは杖をついて歩きます。」みなコケる。Yちゃん「わかりました。」なんでやねん!いやはや参った参った。
さて、こんな子どもたちが2年生になって「なかよし集会」の学級発表で新喜劇にチャレンジした。笑いはいつも偶発的。しかし、敢えて笑いを生み出して、見る人に幸せと勇気をプレゼントしようという取り組みである。(いささかオーバーかな)初めは台詞を言う前に自分が笑ってしまう。恥ずかしさを隠すためにふざけてしまう。どうしてもアクションも小さくなってしまう。そこで、吉本新喜劇のビデオを教室で観賞した。子どもたちの日記には、「笑わせていた人たちは、笑っていませんでした。」「おもしろいことを言うときほど、ゆっくりはっきり言っていました。」などの感想が並んだ。「笑われるのではありません。笑わせてあげるのです!」を合言葉に子どもたちは見事に『二つ星新喜劇』の発表を成功させた。顔から火が出るほどの恥ずかしさと闘った子もいたことだろう。私に叱られた子もいた。劇の練習の過程は、それこそ泣き笑いである。コメディーの真骨頂をやってのけた子どもたち。彼らに天晴れを感じつつ、舞台を見ながら笑い、そして人知れず目頭を熱くするのでした・・・
奈良女子大学文学部附属小学校機関誌 407号 「子ども記」より