第10回 「無理してる?」の話    by J丸:テナー 2004/03/28

 シェンヌとのかかわりは、恋人との時間を過ごすことと似ている・・・今回はそんなお話。
 「無理する」ことの意味を考えてみた。シェンヌでの合唱活動を維持するために、みんな何がしかの「無理」をどこかでしているだろうね。こういう活動を続けていくためには、無理のないスケジュールや活動内容をみんなで作っていくことが、長く続ける秘訣かもしれない。不幸にも辞めていく(或いは入団を断る)人の理由の多くは「無理だから」・・・それじゃ、「無理する」ことはいけないことなのかなぁ・・・


 たとえば、恋人との時間を過ごすためにしていることを考えてみよう・・・恋人に会うために、いろいろなスケジュールを調整する。そのためには少々の無理は通してしまう。体は一つしかないんだから、はっきり言ってしんどい(こともある)。だけど、この「無理」は、期待と希望を生み出すための「無理」であって、また恋人同士、適度な緊張感を持ち続けるためのエッセンスになる。(「空気のような存在」なんて言うけど、それは緊張感がないこととは全然意味が違う!)このプロセスは、シェンヌの練習に行くための、個人の準備に似ていると思わない?


 こうしてやっとの思いで会うことができた恋人同士。会う前はワクワクしていて、いつも新鮮な気もちで会うことができる。自分の大切な人に「こんなことしてあげよう。」「こんな話してあげよう。」自然とそんな気もちになれるよね。(ず〜っと一緒にいられるようになっても、こんな気もちをもち続けることができるかどうかは別の次元の話。儚い幻想であった・・・ということも、しばしば・・・)会える時間に相手への思いや自分自身を表現することに何のためらいもない。これって理想的。お互い一緒にいて、何一つ無理しなくていい関係なんだろうな。お互いにどこかで相手への敬意を払いつつ(適度な緊張感をもっていて)、自分を受け止めてもらえる安心感に包まれて甘え合う。一方、敬意も緊張感もない(「空気のような存在」の安易な解釈をしている)恋人同士は、そのうち一緒にいることに疑問を感じ始め、やがて、一緒にいる時間を苦痛に感じるようになる・・・つまり、会うために無理しなくていい代わりに、会った時に無理している。出会った時は嬉しかったはずなのにねぇ。それは、本物との出会いじゃないんだよ・・・としか言いようがない。どう?シェンヌの練習と自分とのかかわりに似てない?シェンヌはだんだん本物に近づいてきてると思うから、自分もその一員として本物になれるように成長しないといけないなぁ・・・と自分を省みるJ丸なのです。


 そうそう。もう一つ「無理」があった。恋人と会いたくても会えない時間。これは苦しい。これに耐え切れなくて壊れていく恋人同士も多いかも知れない。会っている時間にお互いを解き放ち合い、一緒にいることが自然な二人には、会えない時間は「無理」以外の何物でもない。僕たちはどうだろう。シェンヌの練習をそんな思いで待っているかなぁ・・・歌えない時間は苦しい?歌うために少々の無理をしてる?それともみんなと練習できる至福の時間に無理してる?
 どう?恋人とうまくやってる?シェンヌと自分との関係って恋人との関係に似てると思わない?やっててしんどい「無理」じゃなくて、いい「無理」したいよね。

 このお話は、恋人との「ねえ、あなた。私と逢うために無理してない?」なんて、やさし会話から生まれた お は な し ・・・  だ〜ったらいいのになあ〜