第7回「倉敷より」   のノッチ:バス  2004/01/18


 合唱を始めて14年程になるかな。今まで多くの仲間や指導者に出会ってきました。そんな中から印象に残った人を、ちょっとだけご紹介。

 榎本利彦先生・・・学生時代に4年間、常任指揮者としてお世話になりました。人生の泥臭さや苦労が、いい意味でうまい具合に音楽に出ていたかな。出来がいい時や、上手いパートに対して程厳しく、褒めだしたら"ヤバ!"って感じ。一度、下のFが鳴らせない私たちベースに、優しくLowCより下のAの音を出して見本をみせてくれました。化け物・・・?上手くなる見込みがないと、すぐ捨ててしまう傾向がありましたが、私は先生のアンサンブルは大好きでした。私は学生指揮者をしていた関係上、間近で接することができました。

 林達次先生・・・学生の頃先輩から、「林先生は手を振ると、そこにオーラができる」と、聞かされていました。「そんなアホな!」と思いながらも、一度は歌ってみたい指揮者でした。4年程前、ゲヴァントハウス合唱団に賛助出演した時、やっとめぐり会うことができました。正直練習での印象はあまりありません。しかし本番。そう、本当にオーラを発していたのです。歌い手側をどんどん引き込んでいくパワーは凄まじいものがありました。決してオーバーアクションではないのですが、腹の底から発する"気"は、ホント強烈に印象に残りました。熱烈な信者が存在するのもわかる様な気がします。

 関屋晋先生・・・2回生の時、関混連合同曲で振っていただきました。(シェンヌ団員にも一緒に歌った人いるよね)私にとってはほとんど芸能人。「おぉ関屋晋がいる〜」 でも、さすがプロ。300人以上の合唱で、あの変拍子の難曲を何の違和感もなく、自然な指揮で歌わせてもらいました。私は、ただただ遠くから見ているだけでしたが。

 S先生・・・超プレイボーイ(古い表現)。音楽での印象はあまりありませんが、練習のピアノ伴奏をしていたウチの嫁さんが・・・。余談でしたスイマセン(注、関西の人ではありません)

 本山先生・・・初めて出会ったのが大学2回生の時。私は副指揮者でした。連盟の技術系合宿(大津ユースホステルにて)の講師が本山先生。当時から接触を持ちたかった私は、先生が夜帰るところを待ち伏せ。ファーストコンタクトに成功。その数日後先生に忘れられないうちに、当時同大神学部で教えていた先生の授業終了を待ち伏せ。偶然を装いセカンドコンタクトに成功。そして無謀にも「指揮教えてください。」快くOKしてもらい、マンツーマンで指導していただいた思い出があります。以降、京都バッハ合唱団に入団し31才でシェンヌに入る直前までずっと関わってきました。先生の練習は、まるで講義?レッスン?何というか、今やっている曲だけにとどまらない、合唱法というべきものを教えているように感じます。その曲が終わっても、そこで学んだことを次の曲に生かしていける。それが積み重なってどんどん合唱団にノウハウが蓄積されていく。そんな教え方をしているような気がします。林先生のような"気"が出てくるようになれば、鬼に金棒ですね。私の合唱人生の根本となる人でしょう。

 バブさん・・・早いものですね。私がシェンヌに入って2年半(まだ2年半?)になりますか。少なくとも入団当時、私にはこれ程緊張感をもって臨まないといけない指揮者はいなかったですね。そのせいですよ、入団時は消極的な歌い方をしていましたよね。どうしても、声の響きと言葉・子音、これを天秤にかけてしまう。怖くて思い切ったフレーズの表現ができない。何となく音だけが鳴っている。注意されればされる程、そうなってしまう。そんなツボに私も入ってしまいました。でも、転機は意外でした。倉敷へ転勤して、多くて月一度しか練習に出られなくなって、そんなのを怖がっている暇もなくなってしまったのです。倉敷から来る時間を無駄にしないためにも、全力で向かっていくしか無くなってしまったのです。その時からかな、バブさんの練習、数倍楽しくなりましたよ。表現が過剰になりすぎるのが心配だったので、いつも練習録音していたのですが・・・。結果、はっきり言って自分の力なんか、しれているということでした。自分のせいで・・・、なんて言う程の影響力なんて無かったのですね。心配無用でしたわ。いつかまた、関西地方に転勤になったら、今度こそ声診てくださいね。(おっと!何かメッセージみたいになってしまいました。)

 さて、今年こそ倉敷でも歌いたいと思っています。土・日練習日のおすすめ合唱団、どっかないですかー。