第11回 「4月18日の日記:筋書きのないドラマ」   by J丸:テナー 2004/04/30

 というと、まず殆どの人が思い浮かべるのが野球。この言葉はそれほど人々に認知され、野球を形容する言葉として愛されている。でも、J丸は思う。スポーツの多くは筋書き通りに進んでいる。なぜなら、勝負の結果は物理学、数学、統計学、生理学・・・によって予め見えているのである。「筋書きのないドラマ」という言葉を使うことを許されるのは、「筋書きを自ら書き、筋書き通りにドラマを進める能力と、意志とをもち合わせた者」だけだろう。彼らが知力と体力を振り絞って闘ったその挙句、だれもが予想し得なかった結末が待っていたとき、はじめて「筋書きがないドラマ」とか「勝利の女神が微笑んだ(ソッポ向いた)。」なとど言うのである。

 さて、今日を以ってプロ野球セ・リーグはいわゆる一回り。全てのチームとの対戦が一巡する。我が阪神タイガースは、いい!これでいい!今日のこの時点で5割。そして今、対ヤクルト三回戦。8回表で5−6。負けてる・・・それでも、いいんです!かつての負け犬根性はすっかり払拭されて、闘う男たちの実に美しい姿がそこにあるから・・・
 今日の試合は、実に思うところが多い。観ているうちに書かずにはおれなくなった。この後長いから、興味のある人はお付き合いを・・・ただし、最後は野球の話から離れて締めますよ〜(勿論、合唱の話で・・・)


 まず、今日の試合の筋書き(初稿)では、ヤクルトの快勝。阪神は取れても1点か2点。4−0もしくは7−0となっていました。それほどヤクルトのルーキー川島の投球は冴えていた。ストレート、変化球の切れ、そしてコントロールは申し分なかった。一緒に見ていた息子に、「今日はこれで決まり。こんな試合は、何かが起こらないことには流れはこっちに来ない。勝負の神様は川島についているから。その神様を振り向かせるよっぽどの何かが起こらないと・・・」そう言いながら川島の快投に天晴れを感じつつグラスを傾けていた。そんな4回、何かが起ころうとしていた。桧山のクリーンヒット。でも神様はそれぐらいじゃ振り向かない。打席に藤本。こいつはえらいやっちゃ!なぜえらいか、それを書いていたら一冊の本になっちゃうから書かない。1シーズンで2,3本ホームランを打つか打たないかの彼。彼のホームランはよっぽどのことなのである。(ただし、今シーズンの藤本はパンチ力も昨年より格段に上がっている。レフト方向へのファールの打球が証明している。ゴールデンルーキー鳥谷との争いの中で、かれは進化している。)その一発が出た!神様がこっちにも興味を示し始めた瞬間だけど、まだ足りない。


 後続を川島がピシャッと締めれば、追撃の火も簡単に消えるところだった。ここで、「筋書きを書き換えようとする男たちの意志の力」が働いた。下柳だ!その前の打者を塁に出して明らかに川島は浮き足立っていた。下柳にも3ボール。簡単に歩かせると勝負の神様は川島から離れていく。それまで好投していたピッチャーが突然崩れだす典型的なパターンだ。しかし、渾身の投球で2ストライクまで追い込んだ。決して置きにいっていない。やっぱり簡単に流れを離さないな・・・と思い始めたフルカウントからの6球目、下柳がファール。次の球も、そして次も・・・これはひょっとして・・・そして、フォァボール。あの飄々とした無骨な男の内側は、筋書きを書き換える意志の炎がメラメラト燃えていたのだ・・・これで最初の筋書き(初稿)は全面破棄!後の展開はご存知の通り・・・

 人生は一歩先に何が待っているかは分からない。でも、そこで起こることは、偶然のように思うけれど、その多くは必然。意味のある練習や努力は報われてよい結果につながる確率が高い。失敗には必ず原因がある。これが必然。(野村監督がよく「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。」と言っていた。)今、何かの失敗に気付いていたり、悩んでいたり、苦しんでいたり・・・誰でも多かれ少なかれそんな問題は抱えているはず。筋書きを書き換える意志があれば、たとえ結果は同じでも、意味あるプロセスを過ごせたり、時間はかかっても結果まで書き換えることってできるんじゃないかなぁ・・・

 もうすぐ演奏会。そこで演奏される音楽は、今僕たちが過ごしている時間が生み出す『必然の産物』。(音楽に「筋書きのないドラマ」なんてあるのかなぁ?ないよねぇ。あるとしたらそれはアクシデントじゃないかなぁ)準備も大変だけど、あと2週間、いい筋書きを書いて、筋書き通りに進んだドラマの結末を来て下さる方々とともに、満たされた思いの中で迎えたいね・・・