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第13回「原点」 若和尚:テナー 2004/10/30
寺に生まれ育った僕にとって、いや、父が坊主には必要でないと判ずるものは遮断された圧制の中で、子どもの私がキリスト教音楽に触れることなどありえなかった。今でこそ彼岸・盆であろうと部屋でわんわんミサを鳴らして聞いているが、タリスやヴィクトリアといった美しい曲群など、知る由もない大いなる神秘とタブーだった。
しかし皮肉にもその父が夏休みに見に連れて行ってくれた映画の『ビルマの竪琴』で、牧師が戦死者を埋葬する際に修道女と共に詠唱しいる場面は鮮烈な印象を与えた。
そして今でも忘れられないのは、それから時期違わずテレビで見た4、5人の男声のア・カペラ。今になって思うに、あれはきっとグレゴリオ聖歌だったに違いない。小学生はとっくに寝るべき時間というのに、小さな胸をドキドキさせてそれを食い入るように聞いた。なんと澄みきった声、響きの高尚さ、こころの曇りを吹き消す美しさ、音の休閑にある静寂。そして少人数でこんなことができるのかという驚き。いつか自分もこんな曲を歌ってみたいと当時はほとんど絶望的な願いを持ったものだった。それが合唱をやりたいという泉の源だと言うと、自分の話をあまりにも美化しているだろうか。
大学生になって初めて合唱を始めたが、その学生合唱団が元来大きな団ではなく、自分が卒業するころには20人半ばで、声量でごまかせないことを踏まえて当時の学生指揮者はアカペラで、しかもルネッサンス期のアカペラ音楽に手を出した。それだけが理由ではないにしろ、しばらく(今も?笑)アンチ大合唱の考え方が染み付いてしまった。
こんなことを書くと様々な方からお叱りを受けてしまうかもしれないが、人数に埋もれてしまって、まれにピックアップして聞いたその声は、「お前は居なくてもいいやろ?」と言われてしまうモノが潜伏してそうな、そんな合唱団には卒業しても行きたくなかった。つまり、一人ひとりの声や取り組む姿勢がより大切になる少人数の団にしか入らないつもりだった。
今となっては、決して少人数のアンサンブルとはいえない規模になったシェンヌにおいて、指揮者から合唱は人数ではないということの「本当の意味」を教えられた。
「もちろん人数にあわせた作り方はあるだろうけど、大合唱だから、少人数だからという言い訳は関係なく、音楽の骨格というのは常にあって、求められる声の質や表現の方向性は左右されるものではないはず」、ということである(私釈要約)。
話を元に戻す、というか…(汗)。元々脈絡を作って話すのが苦手な私は文章を書いても同じ。テーマとして常にあるのは、大学時代にあまりにもやりのこした多くのことを今も探し求めている、ということなのだが、その学生時代とシェンヌでの活動時期の思索の往復をしながら、また言葉通り時折後輩たちを訪ねては刺激をもらってくることが多い。
後輩たちは近年コンクールに挑戦するようになったとはいえ、先輩譲りの稚拙さは変わりない。しかし自分が居た頃よりもよっぽどアンサンブルをするようになったと、正直驚いてしまう。音楽が生ものなのだということを、音符をなぞり、必死に音を拾って繋いでいるだけの、ガチガチになっているこの先輩を冷やかして笑いかけてくるように思える。
ある時練習終わりにクラブボックスの前でたむろして喋っていると、「先輩!聞いて下さい!」と、数人で譜面を広げて輪になり、アカペラの小品を歌いはじめる。もちろん、コンクールや演奏会で歌う曲ではない。銘々が探したり人から教わって自分で譜読みをしてきているのだ。
その歌はといえば無論、取り立てて言うほど声も良くないし、音が取れてない所が一杯あって、ズッこけることもしばしば。でも楽しそうに、とてもいきいきとしていて、輝いて見える。歌い終わってこちらにふりむき、はにかんで「どうでしたぁ?」と聞かれると僕は微笑む以外に何もできない。
拙いながらも歌が好きで好きで、声を合わせて歌う喜びを味わっているそんな後輩たちが誇らしく、羨ましくなる。
そうだ。これが僕自身の出発点だったはずじゃないか!と自分の中では当たり前なはずのことを再確認する。
僕は、今のシェンヌにあってかつて団内の男声を中心にやったOAKシンガーズのことを未だに思うのだ、と言えば展開があまりにもストレートすぎるだろうか。
どんどん行事の数が増えているシェンヌにおいて社会人に練習の余暇などなく、できれば避けたい気持ちは一方でうなづける。しかし、正規の練習以外の曲を楽しむことが出来ないというのは少し違うんじゃないかな、と思う。そんな料簡なら行事はこなせても幅は先細りが待っていると思うのだけどな…。
そんなことを思うこの頃でした。という大嫌いな締めで終わる。