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第1回 「大人の遊び!?」 by J丸:テナー 2003/11/08
「遊び」という言葉から人が抱くイメージは、どんなものだろう。「遊び」という言葉の使われ方は・・・「夜遊び」「遊び人」「遊び上手」・・・う〜ん、あんまり好いイメージとは言い難い言葉が並んでしまうなぁ。(僕の個人的な問題か?)子どもたちは、遊びの中で学び成長していくもの。それにひきかえ大人は、労働し生産するのが務め。「遊び」には浪費が伴い生産性がないという一種の罪悪感が、「遊び」のイメージを悪くするのかなぁ。そんな中で、「遊び」がとても重要な働きの呼び名として使われている例が一つあった。車のブレーキには、踏んでも全く作用に結びつかない範囲がある。このブレーキが効かない範囲がとても大切なんだとか。作用に結びつかない無駄な部分でありながら、なくてはならない部分。このパラドクスこそが「遊び」の本質なんだろう。
誰にでも、がむしゃらに成長すべき時期があり、なにかしかの成果を得られる時期がある。しかしそこまでくると、それまで目に入らなかったものが見えてきて、はたと気づくことがある。疲労、消耗・・・あるものは「燃え尽き症候群」と呼ばれ、あるものは「煮詰まった・・・」と言ってズルズルと後退しはじめる。経済、社会、教育においてもそのような背景から、「ゆとり」を重要視するような風潮が生まれた。「遊び」は成長し続けるためのエネルギーの源であり、同時にその頑張りに対して与えられる、一種の特権にも似た果報なのだ。『シェンヌ』『合唱』という「遊び」が生活の一部としてある僕たちは、なんと幸せな大人なんだろう・・・
さて、時は折しも全国大会直前。シェンヌの練習のテーマは「殻を破る」こと。指揮者の要求も終始一貫している。「殻を破る」にあたって必要なのが、「遊び」の精神ではないだろうか。一時の流行と言ってしまえばそれまでだけど、最近、一流合唱団の「遊び」を見せつけられてきた。「遊び」を見せつけながら『音楽』がぶれない力をもっていた。「遊び」があることで、『音楽』そのものがまるで生き物のように躍動していた。
J丸は技術的に「いっぱい、いっぱい」(ある意味「遊び」の対義語だろうなぁ)だから、サウンド面で邪魔にならない範囲を守りつつ「殻を破る」ためのチャレンジをしないといけない。「遊び」ができる大人にならないとなぁ・・・