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[13]むなしさ・・・(2003/12/08 16:06:34
 12月に入るとほとんどの高校では「期末考査」が始まります。私の勤める高校では、今日がその最終日でした。ふつう試験が終わったら張り詰めた気持ちから解放されてうれしい気分になると思うんですが、ウチの生徒はなぜか「素」。「もっと喜べよ」と言っても「はあ?」って感じで『お勉強してないのね〜』と彼らの面見りゃわかります。
 しかし実はこの2学期の期末試験ほど大切なものはないんですよね。今までサボってきた分の「ツケ」は3学期でなんとか・・・と思っても3学期は「年度末考査」として1回のチャンスしかなく、1,2学期に確定した点数はもはやこの一回ではどうにもなりません。「同じ頑張るなら、この2学期の期末しかないぞ!」テスト前に必死に生徒に訴えたはずだったのですが・・・。
  「おまえら、ちょっとは話、聞けよなあ・・」
教室の後ろの黒板に書いた『今年の目標  がんばって進級しよう』の横に
「よゆーよゆー」と、らくがきのあと。私のこのむなしい気持ちをよそに、すでに彼らの気分は冬休みモード全開です。

 私は今でも時々「試験前日に全く何も勉強していないで焦っている自分」の夢を見ることがあります。「テスト」というものから解放されて何年経つのか、そのことすら忘れてしまっていますが、そういえば最近「自分が試される機会」が少なくなったなあ、と思います。もちろん社会人としていつも「評価」の目にさらされながら成長を続ける、立派な「大人」もたくさんいらっしゃいますが、少なくとも私はちょっとマンネリしてます。

 他から課題を与えられないと目標をもてないし(一般論です)、良い事だとわかっていることでも長続きしない(休肝日やダイエット)。具体的な評価として返ってこないことに魅力を感じない・・・なんとなく、覇気を失った中年のため息にも聞こえますが、しかしこのことは我々の合唱への取り組みに似ていませんか?

 「評価」を得る場がコンクールで、そこでのよい結果を「目標」 と置き換えるかどうかは考えの分かれるところですが、自分たちで活動の「目標」を決め、その得ようとする「評価」は、実は最終的に自分たちの中に生じる「満足」と限りなく一致する、ということを知っているから「しんどさ」を感じるのだと思います。ですからコンクールの結果や演奏会のアンケート用紙によって得られる評価は、「安心」こそ与えてくれますが絶対に大きな満足には変わってくれません。それだけに頼って活動することは、やはり少しだけむなしいんです。

 「満足」を共有できる合唱団であること。私の目標のひとつです。そしてその満足の質が合唱団の個性を生み出すのだと思います。魅力ある活動にするためにも、私たち自身が今の活動に本当に満足しているのかを、今一度、確認する必要がありそうですね。


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