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[19]記憶の奥に・・・(2004/01/13 21:06:26)
今年は毎月のように本番があってすごく楽しみ。
その最初のステージが来月15日に入っています。高校生の前で歌うんですよ。「奈良県高等学校連合音楽会」っていう音楽会の「ゲスト演奏」をすることになっています。これは高文連のようにクラブ活動の集まりではなくって、音楽の教師で組織される「音楽教育研究会」が主催して、それぞれの学校の生徒による様々な形の「音楽」を持ち寄って発表する音楽会です。もちろんクラブ活動の発表もOKで、吹奏楽、合唱、独唱,独奏、アンサンブル、日本音楽・・・と本当に何でもありの文字通り「音楽会」なのです。
思い返せば、24年前、郡山高校の講堂を会場に開かれた「連合音楽会」で私は指揮者デビューを果たしたのでありました。そう、確か高校2年の春だったと思います。曲は・・・えーっと、ん?何だったかな?多分「海鳥の詩」だと思うんだけど・・・「エトピリカ」を強烈に速いテンポで演奏した記憶が残っていますから・・・。
当時、我が母校、県立橿原高校コーラス部は混声で40〜50人ほどの部員が在籍していました。混声で活動していたのは私が入部していた3年間だけで、その後また女声に戻ってしまいました(この頃の橿原高校の合唱はとても充実していました)。演奏会はできなかったのでコンクール中心の活動でしたから、歌った曲にも少し偏りがあるかもしれません。高田三郎全盛の頃でしたね。
この頃はどこの学校も部員数が多く、今でこそ活気のないこの奈良県でもほとんどが混声で、コンクールにもフルメンバーで出場していたんじゃないかな。
朝練もないのに7時すぎから登校してピアノを弾いたり、昼の練習をしないときも、弁当持参で音楽室に集合。考査前の活動禁止期間も音楽室に集まってこっそり練習していました。ハマっていました。完全に合唱に浸かっていました。
全日本のコンクールを聞きに行きたくてもそれは叶わず、やむなくコンクールの演奏録音、LPレコードを買い、これまた当時発売されたばかりの初代ウォークマンでテープが伸びきるまで聴いていた記憶があります。山形西の白鳥、会津高校のゆうやけの歌、福島高校のタリスのエレミアの哀歌・・・耳が覚えてる、というよりあの震えるような感動を全身で記憶しています。
今でもたくさん音楽を聴きますが、あんな聴き方はもう二度とできないですね。しかし、あの頃聞いた音が、今も膨らみつつある私の合唱への想いの「核」になっていることは間違いありません。
「連合音楽会」は教師になってからも毎年、生徒を指揮したり、裏方として運営したりしていますが、そこには、コンクールにはない特別の感情があります。私が声楽を学びながらも結局は指揮を選んだのも、そして何よりも当時の仲間と20余年合唱を続けてこれたのも、あの時のあの体験があったからからだと思うんです。
今度の演奏はわずか10分間ですが、落ち着いて、丁寧に演奏したいです。少なくともあの「エトピリカ」の失敗だけは繰り返すわけにはいきませんから。
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