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[34]夏の終わり(2004/08/25 02:28:12)
「今年は暑い夏になりそうだ」なんて思っていたら、甲子園は決勝も終わってしまっているし、オリンピックも佳境にはいってきたし、NHKコンクールの県大会はとっくに終わって、連盟の県コンクールも・・・いやあ、気がついたら夏も終わりや。
結構、中身の濃い、夏休みでした。7月の宝塚のフレンドシップコンサートから始まり、8月の頭には徳島で行われた全国高等学校総合文化祭への参加。そして、先日21日には朱雀シンフォニーオーケストラの演奏会・・・。
今は、何年か前までと違って、自分の勤務する学校の合唱部を指導してコンクールを目指すってことができていない状況なので、ステージが多ければ多いほど、勉強になるから、それはそれはありがたいことなのです。
普段から一般合唱団だけの指揮をしていると、どうしても自分自身が学ぶことのできない部分が出てきます。そういう意味で、高校生を指導することはものすごく勉強になります。
例えば、声の小さい生徒の声を出させる(ように私が必死でがんばる)こと。
また、歌おうという気持ちに(私が必死で)させること。
毎年、色んな声をもった生徒が入部してきますから、それぞれに応じたアドバイスが必要になります。そして音色を揃えるためのコツが必要になってきます。こちらの、要求を早く理解してもらうための「注文のつけかた」を工夫することも不可欠です。
その経験を積み重ねることで指導法の引き出しの数を増やすわけですが、生徒を部活動で指導しなくなると、その感覚が鈍ってくるのがわかります。
幸い、毎年の夏休み、県内のある高校の合唱部の練習に参加させて頂き、そこの顧問の先生と一緒に音楽作りに加わる機会を得ています。今年も、2つの学校の練習にお邪魔しました。私はもちろん生徒の名前も知らず、人間関係も出来上がっていませんから、とにかく理解しやすく、即効性のあるアドバイスがないと「このおっさん誰?」で終わってしまいます。だから必死になって、頭をフル回転させて、気持ちを引き付け、声を、音楽を引き出す努力をします。シェンヌの練習だけでは絶対学ぶことのできない、尊い経験がその中にはあります。
4年前から続けている「奈良県選抜女声合唱団」を率いて、今年も全総文祭に参加してきました。「選抜」というのは嘘です。実は「希望者」です。もっと言えば奈良県内の高校の合唱部に所属している「2年生全員」です。
なぜこの活動を始めたか、というのは、簡単に言えば低迷する奈良の合唱の息を吹き返すためです。ただ、その意図が参加する生徒に浸透するまでに4年かかりました。
しかし、今年の参加者は立派でした。自分の学校のクラブの練習もあるわけですから、両立することはとても負担になるはずです。しかし計6回の練習への出席率は96%を超え、十分な準備をしてから練習に臨む姿勢も見事でした。そして、各学校の顧問の先生方のご理解も・・・。
合唱は多くの場合、とても閉鎖性のある世界だと思います。「自分たちのスタイル」とか言いながら、結局は独りよがりな活動になりがちです。
「交流」することの大切さ。それは宝塚のコンサートでも、他の高校生との合唱経験でも、そして先日のオーケストラと合唱の共演でも、確かに感じ取りました。
私自信が勉強になっていると思うことは、単なる「指導法」なんかではなく、多くの「交わり」の中で生じる「小さな葛藤」がもたらしてくれる、「音楽の幅の広がり」なんだな、と気づきました。
忘れちゃいけないな、これ。
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