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[51]全日本合唱コンクール その1(2005/11/22 )
昨日、新潟から戻りました。今年の新潟はそんなに寒いとは感じなかったなあ。
新潟は今回が2度目です。その時はもっと凍えるような寒さだったと思うんだけど・・・。
17年前、私がまだ大学を卒業して2年目の頃、寝台列車に揺られて早朝の新潟駅に降り立ち、そこに出迎えてくれたのは高校の後輩で、当時新潟の大学で学んでいたO君でした。彼の下宿で彼の大学の合唱仲間と鍋を囲み、近くの酒屋でもとめた地酒を酌み交わし熱く音楽を語り合ったあの夜。なぜか忘れることのないこんな思い出でさえ、今の自分の合唱への想いをじっと底で支えてくれているのだと今ではしみじみ思います。
17年前は合唱コンクールを聴くために新潟へ行ったのですが、今回、その同じ場所で、まさか今度は歌う立場で再び地酒の味に酔いしれることができるなどと、夢にも思わなかった。
16年ぶりにその思い出の地で歌い手としてステージに上がったO君は、卒業後、合唱をするために関西に戻りずっと歌える環境を求めて生活スタイルを変え続けるほどの合唱馬鹿。そしてシェンヌの男声を牽引し続けてくれる頼もしいヤツです。
それにしても素敵なホールでした。ステージを客席が囲む形になっていて、ホール内の大きな空気のかたまりをみんなで共有しているような感覚があります。しかしちょっと困ったのはステージのほぼ真横よりまだ更に後方まで客席が埋まっている状態で、指揮をする私の視界に客席の人の姿が入ってしまうことでした。いつもは背中しかお見せしていませんが、前から見られちゃうと・・・いや別にマズいことはないのですが、ね。(たぶん)
毎年書いていますが全国コンクールでは「歌いたい」という気持ちがまずあって、そして当然練習は充分だから今更不安に感じる要素も少なく、だからとても気持ちよく演奏できます。聴いてくださる方々の姿勢もすばらしいから、もちろんコンクールとしての独特の緊張した空気はあるものの、逆にそれすらが心地良いと感じることのできる、一年で一番好きな瞬間です。
演奏はまずまず満足できました。何をもって満足と言えるかはそれぞれに感じ方が違うと思いますが、少なくとも「練習通り」に歌えることが満足なわけではありません。本当の満足は、日々の練習を含む様々な取り組みにおいて、頭や身体や心にすり込まれていったものが、たった一度きりしかない本番の集中力の高まりのなかで「ひらめき」となって現れることなんじゃないかな、と思います。言い換えれば「結晶」。そしてそれが生きた音楽の証。
打ち上げは楽しかった。若い学生たちの言葉をきいて、浮かれることなく純粋な気持ちで歌っていこうとする彼らの姿勢には頼もしいと感じたし、誰の口からも、しっかり現実を見据えた話が聞けたことは本当にうれしかったな。今の状態が際限なく続く「バブル」はないんだから。今だけが良かったらそれでいいんじゃないんだから。1年目の人にも、23年目の人にもシェンヌとの歴史と音楽への想いがある。確かにある・・・そう確信しました。
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